イラスト&マンガブログ。現在不定期更新中です。(2023/08/12)

相模原の事件について

普段は何気ない日常を綴るこのブログでも、この件に触れないわけにはいかないでしょう。そう、相模原の障害者施設殺傷事件です。
この事件については、有識者の方々が沢山の意見を述べておられるので、難しい話はそちらに任せようと思います。ここでは、あくまで「障害児の親」として思うところを書かせていただきます。


このブログをご覧の方はすでにご存知のように、我が息子「あっくん」は自閉症です。当時の診断名は「自閉傾向の広汎性発達障害」ではありますが、まぁ区分的には「自閉症」と言って差し支えないと思います。

相模原の事件で標的にされたのは重度の「重複障害者」でした。彼らを「安楽死」させることが目標。そして「障害者は不幸を作ること」しか出来ない、とも。

息子は重複障害者ではありません。ただ、、この容疑者だけに限らず、常に「弱者」は標的になり得ます。今回はたまたま「重複障害者」が対象でしたが、これから先「障害者」全体が狙われる事件が起こるかもしれない。「他人事では無い」…と感じました。

容疑者は言いました。障害者と認定された人は「不幸を作る」と。
障害を持った息子を育てるのは大変な部分も多くあります。こちらが話しかけても返事が返ってくることはほとんどないですし多動で走り回るので外では目が離せないし、意味不明なことでパニックを起こしたりもします。
ただ、けして「大変なこと」が「不幸」とイコールではありません。大変な生活の中にも、幸せや喜びは確かにあります。嘘やごまかしでは無く、僕は息子が産まれてきて良かったと思っています。

重度、軽度を問わず、障害者は何をどうやっても産まれてきます。それは人類としての「幅」を持たせるために必要だからです。障害者がいて、普通の人がいて、大天才がいる。男がいて女がいてそのどちらでも無い人もいる。多様性があるからこそ人は一つのウィルスで全滅したりはしません。そういった、言わば種を維持するための大きなシステムの中では、障害者もそうでない人も等しく必要なのです。
元々世の中とはそういうもののはずなのに、いつの間にか世の中は…特に日本は、平均的な「普通である事」を良しとする世の中になってしまいました。
「普通なら働いてる年なのに何でニートなんてやってるの?」「普通なら結婚してる年なのに何で独身なの?」…そんな風に言われて傷ついてる人は一人や二人じゃ無いはずです。「障害者」が不幸を作るのではなく「普通の人」が不幸を作るのです。
ここから先は憶測でしかありませんが、もしかすると容疑者も「普通の人」として生きるのがイヤで今回のような凶行に及んだのでは?とも思います。そんなものは「普通」という考え方があるからこそ生まれる考えです。やはり「普通の人」を良しとする考えに問題があるような気がしてなりません。

まだまだ考えはまとまりませんが、「普通では無い」息子のあっくんと共に生活する中で、答えを見つけていけたら良いな、と思っています。

…いや、「普通」なんて本当は、ありはしないんですけどね。

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