イラスト&マンガブログ。現在不定期更新中です。(2023/08/12)

障害者に対する感情

ツイッターにおいて、某フォロワーさんが以下のようなことをつぶやいていました。


さすがに障害児の親としては看過出来なかったため、それに対してコメントしてみました。それがこちら。

(※「おぞましk」→「おぞましく」誤字失礼m(_ _)m)
そしておそらく、見ていただいた後のその方の感想がこちら。


色々と考えさせられるやりとりでした。
色々と思うところはあるのですがまず、何が「おぞましい」のか、そして何が「仕方ない」のかの定義が一番やっかいだろうなぁ、と思います。

まずは、「おぞましい」について。
障害者、あるいはそれに関わる事象に対して感じる「おぞましい」という感情は、「未知の物に対する恐怖」と近いのでは無いかなぁ、と思います。特に日本人は、”普通”では無いものに対して嫌悪感を持ちやすい民族性ですので、おそらくそういったものの影響もあるのかも。

実際僕自身も若い頃、そこまで強い感情は持たなかった物の、障害者に対しては「自分とは遠い物」と考えており、「深く踏み込むべきものでは無い」と勝手に決めつけておりました。
実はずっと昔から、斜め向かいのご近所さん夫婦には障害者の息子さんがおられるのですが、その方に対しても「なるべく見ないように」「話題に出さないように」努めていました。そしてどこか「かわいそう」という感情も持っていたように思います。

ところが実際自分が障害児の親になってみると、見方、考え方が全然変わるんですね。
そのご近所さんに「うちの息子は自閉症なんですよ」という話題を振ったら「うちの子もそうですよ」と、返されました。20年たってようやく知った事実。これは多分、自分が「関係者」になっていなければ最後まで聞けなかったし、わからなかった事実だと思います。
知ってしまえばなんてことは無い。そこにはもう「かわいそう」という感情も「おぞましい」という感情もありません。
だから、「知ること」。そしてもちろん「伝えること」の重要性を強く感じるのです。このブログも「きょうのあっくん」もそのために作りました。
でもそれが、フォロワーさんにすら伝わってないんだから、まだまだ足りないって事です。頑張らなければいけません。

そして「仕方ない」という感情について。
これだけは、正直よくわからないのです。障害児であってもそうでなくても、子供が産まれたら育て、困っていれば手助けをする。親の役割はそれだけでしょう。そこに「仕方ない」という感情は存在しません。
親になるという覚悟を決めた以上、仕方ないもなにも無いのです。むしろ育児を愛せない人間は親になるべきでは無いし、仮に自分が育児に不適格だと思ったら、さっさと別の人に任せるべきです。「自分の想像していた子供と違ったけど仕方ないから育てるよ」等というのは言語道断。子供にとっても社会にとっても良い迷惑です。

  • 「息子をプロ野球選手として育てたかったけど産まれたのは女の子で運動音痴だった」
  • 「健常児を望んでいたが障害児だった」

この二つに僕は、決定的な差はないと思うんですよ。結局「親のエゴは押しつけるべきでは無い」という結論に至るだけです。
ですので僕は「仕方ない」とか全然思わず、毎日本当に楽しく過ごしています。それでも仕方なさそうに見えるとしたら……やっぱりまだまだ伝える力が足りないんだろうなぁ。ホント、頑張らなければいけません。

改めて啓発活動の大切さと難しさを感じた一件でした。

※Twitter APIを使用した上でのつぶやきの無断引用はガイドライン的に認められています。ただし要望があれば記事を改編、削除いたします。

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